メガネをかけるというのは自身に正直に生きるという事

2021/01/07

『メメントモリ』
死を思え
いつか必ず自分が死ぬことを忘れるな
そういうことですが
キリスト教圏、クリスチャンであっても
それを解っていても
老いや老化にたいして嫌悪を抱いている
人が多く見受けられます
『生』が尊いのであれば
『死』も尊く『老い』も尊い
『生き続ける』というのは
『老い』はその積み重ね
『生』の瞬間から『老い』ていくわけです
それに嫌悪をするということは
『生』を嫌悪すると同等
何故
いわゆる『老眼』を厭うのでしょう
不便になったわけではありません
身体が正直になったというだけのこと
素直に受け入れる姿勢になっていない
メメントモリを拒否している
そう思えてなりません
『若さ』を貴ぶのであれば
『老い』もまた貴ぶ
経験を基に学んでいるはずだから
人は
『若い』時期より
『老い』ている時期の方が永い
何故
いつまでも過去に囚われるのか
若く戻ることはないのに
さて
生きている以上
苦しさも醜さも飢えや欲も
一身に自分から、周囲から悩まされます
最も
愛や慈愛、尊ばれ、人から非難を受けない瞬間
それは
死んだ直後
何人も善意に受けない者はいません
その時だけは
自身もまた死ぬことを自覚するからです
生の尊さ、希少さが感じられるのでしょう
なってみて初めて解るというのは
生を感じていないからに過ぎません
メガネをかけることに
不便や不都合を感じる必要はありません
身体が正直に痛みを知るようになっただけのこと
ですので
ちゃんとしたメガネをかけることは
人の痛みを知ることと同様だ
と常日頃からお伝えしているのです
メガネは知識、理性の象徴です
聖職者、聖人の持ち物なのです
気軽に得られるようになったこと
これは素晴らしいことと
ちゃんと観ましょう