プロフ
2015/02/09
どうも店主です(。・ ω<)ゞ
「日本人はどうなってんだー」
な~んて事を言っていると、日本人じゃないんじゃないの?
と思われていそうなんで
プロフィール書いていきます
出身は石川県です(能登ね、奥能登ではないです)
現在、茅ヶ崎市に住んでます
自身でも中国人顔だと思います(笑)
カミカミなのでそれっぽいですね(^_^;)
皆さんご存知のように、石川県は一向一揆があったとこです
歴史で習いましたね(^O^)
加賀の一向一揆がどでかくあったようですが
能登でもちらほらあったそうです
このためか、支配階級に対して
「なんぼのもんじゃーい」という志向があるようです
また、「裏切り者は許さん」とか「ちょっと違う思考を持つ人間は超否定的」
何百年も経ってるのでその風土が残ってるって訳ではありませんが
実家の性質はこのまんまです
住人総農民みたいな文化で分け合って当然みたいな・・
まぁ、居心地悪い(笑)
火事で焼けてしまったそうですが
店主の先祖らしき人(字が汚くておそらくという範囲)の
連判状もあったとのこと
わざと汚く書いてごまかそうってとこが店主の先祖っぽい(笑)
つまり、代々浄土真宗だったのが
店主の代でクリスチャンになってしまったわけですね(^O^)
法事やお盆、実家に帰らない理由はここにあります
帰ったら墓を掃除しろだの、仏壇に手を合わせろだのてのは
ちょっとクリスチャンとしてまずいんです(^_^;)
なんか、変な宗教に嵌った扱いされるんですよ・・・
普通のクリスチャンだってのに(敬虔ではないですけど~~笑)
で、どっから来たのか遡ると
平家物語に近所の事が書いてあるんですよ
伝承では、その村(今は村じゃないですよ笑)の始まりに開墾したのは
ウチ含め四つの家らしいです
ということは、鎌倉時代以前には既に
ウチの系譜がさかのぼれる訳ですね
少なくとも、文永(?)だかからの
家系図があったそうです
何年に誰それが生まれて、何年に亡くなったというもので
門徒台帳みたいなものだったんでしょう
寺が火事になって家系図が燃えて
江戸時代初期ぐらいからが残ってるとのこと
そっから数えて十六代目くらいが
この私、店主です
本物かどうか知りませんが実家の蔵には
鎌倉時代の足軽が大根と物物交換として置いていった
鎧がありました
武者鎧ではないですよ、足軽鎧
雑兵鎧です
鑑定したら鎌倉期で間違いないだろうってことで
父親が10~20万で買い取ってもらってました
由緒正しい、貧乏農家十六代目です(笑)
面白いのが
代々名前が交互なんです(笑)
祖父○○→曽祖父△△→○○→△△→○○→・・・・
墓も○○の墓と△△の墓二つあります
代々交互になってたそうです
不思議ですね(^_^;)
由緒正しいせいか、嫁いでくる女性は全て
豪農だったり庄屋さんだったり・・
牛車で花嫁行列して直系が貧乏農民という(笑)
まぁ、割とどうでもいい内容ですね